
JR渋谷駅から徒歩5分
ファイヤー通りで
かつて
警官隊600人と銃撃戦を繰り広げた
凄い少年がいた。
もちろん大犯罪だ!
その犯罪者の名前は
片桐操
信じられない事に
あの渋谷で
180発もの銃弾が飛び交ったのです
まあ今の渋谷とは大分違うけどね。。。
そう
時は遡る事
戦争が終わってまだ間もない頃
片桐操は東京都内にて
超一般家庭の4人兄弟の末っ子として誕生
正確は内向的
友達もいない。
とにかく銃を愛していた。
銃が好きで好きでたまらなかった。
玩具の銃を改造したり
改造した傘の柄に花火の火薬を詰め手製の銃を作ったり
銃を撃つために自衛隊を受けたり
まあそんな動機では落ちてしまうワケですが。。。
そして18歳のと時に
念願の銃所持の免許を取得
猟などに使われるライフル銃を手に入れました。
しかしながら
猟銃意外の、
警官とかが持ってる拳銃も欲しくなってきちゃって。。
片桐決意!
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1965年7月29日
片桐少年は噓の通報で
神奈川県大和署の警官をおびき寄せます。
片桐:『少年が林で空気銃で動物虐めてあそんでるぞ!』
警官:『はい!ただいま注意に出動いたします!!』
そして駆けつけて警官の心臓を猟銃で
ズドン!
そして念願の
警察支給の拳銃
ゲット!
警察官の制服と手帳も
一緒にパクっていたら
たまたま近くにいた警察官2人に発見され
発砲、逃走した!
手に入れた制服と手帳で
近くの駄菓子屋のお姉さんをだました。
片桐『僕警官です。この辺で事件あって、ちょっとく車だしてくれませんか?』
お姉さん『はーい』
運転手をお願いして
そして東京方面へ
途中でやっぱりバレて
警官に待ち伏せされるが、
運転手を人質に、車を何度か乗り換え
東京を目指す。
このとき
神奈川県警は
捜査員300人
パトカー7台
白バイ85台を出動
県境を中心に33ヶ所に検問を設置
ラジオ情報を聞いて
車を乗り変えたことで
警察を神奈川方面に釘付けに成功
にんまりと
渋谷を目指した!
渋谷には
以前ライフル銃を調達した店がある!
そこで大量に弾丸を手に入れなくては!!
片桐はその思いだけで渋谷を目指していた。
そして目的地【ロイヤル銃砲火薬店】にたどり着いた。
その頃の渋谷は
東京オリンピックの恩恵を受け
今程ではないが発展していた
スクランブル交差点も今と同じ様にあり
1日に約64万人が訪れる大都市だったのだ
片桐が渋谷にいる事が通報でわかり
警察はすぐに渋谷に急行!
パトカー二台が先に到着
片桐は人質を盾にして
一時間に130発も発砲を行った。
通報から数分後、
警官600人
ヘリ2台
パトカー150台
片桐がいるライフル銃砲店を包囲した!
片桐は闇雲に連射発砲というワケではなく
しっかりと狙い撃ちしてくるので
やっかいだったらしい。
まるでシモヘイヘだ!
現場付近を走る山手線は止まり
テレビカメラも立てこもり事件の一部始終を撮りつづけた
あっというまに3000人の野次馬ができていた。
8時間の市街戦の末
最後は
催涙ガスであぶりだされ
その隙をみて男性店員がライフルで
片桐に攻撃!
警官五人が更に追い討ちをかけ
片桐御用!
・最終的に警察官7,000人を動員
・警察官1人が射殺される
・警察官・通行人等含めて16人が負傷
全部吐き出せてスカッとしたぜ。
刑務所なんで入るくらいなら
ベトナムに送ってくれ
ベトナム戦争で好きなだけガンを
撃てるなら死んでもいい』
判決 シ刑
未成年犯罪者に対しては異例の処置だったという。
裁判では
再びこのように多くの人に迷惑をかけることのないような刑、死刑にして欲しい」
と主張していた。
そして刑執行前に教誨師にこんな願いを語っている
でも、ぼくのような人間が、2人と出ないよう、この社会から2度と出ないように、
この最後のつらさ、苦しさの心境だけは若者たちに伝えてください。
自分との闘いに負けた人間の最後のあわれな姿が、
自分をして、自分で自分の首を絞めるようなもので、
こんな人間にだけはなるなと教えてやってください。
先生、死刑囚んあった人間の教誨より、
罪を犯さない人間を育てるために教誨をして下さい。
これが、僕の最後の頼みです』
射撃の腕も
行動力も
機転の早さも
戦場であれば評価されたのかもしれません。
そして銃に執着ではなく
他のものに執着していれば
平和な世界でも
成功した人間になれたのかもしれません。
なんかとても残念な片桐少年でした。
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