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妖刀❷村正〜徳川家に祟った妖刀

妖刀❷村正〜徳川家に祟った妖刀

徳川に祟った村正〜家康の父祖と村正の因縁〜

日本の歴史で妖刀と言えばまず名があがるのは『村正』だろう。
斬りまくりの殺りまくりの最低な野郎の響きです『村正』。うん、妖刀。。。って感じです。

『村正』の経歴はこんな感じ〜
南北朝時代ころから伊勢の桑名付近に代々『村正』を名乗る、実直な刀工たちの一族が住み着いていた。一族の名をとって『村正』と呼ばれるようになった刀剣が奇しくも徳川家康と因縁で結ばれ、やがて
“村正は血を見ねば鞘におさまらぬ”
とまで謳われ名を馳せる様になったらしいです。

さてさて、『村正』の野郎はどんな犠牲者をだしちゃっているのかな?
はりきってみていきましょう!!

村正の最初の犠牲者=松平清康(徳川家康の祖父)
清康はこのとき、岡崎城を根城に、天下を狙った戦国大名だった。更に言うなら織田勢力と争っている中だった、早朝、清康が暴れた馬に対して、『逃がすな、捕らえよ!』叫んだところ家臣の息子の弥七郎に背後から一刀のもとに斬殺された。このとき弥七郎が手にしていた刀剣が『村正』だった。
もちろん、弥七郎はすぐに周りの家臣に斬殺されたので、動機ははっきとわからないが、清康のかけ声を、父に対して誅殺するための掛け声と勘違いして刀を抜いたと考えられている。

この弥七郎、一説には寝ぼけてたとありますが、寝ぼけた妖刀使いに一刀両断されたくないですね。まさに妖刀。。。怖い怖い。。織田勢力と争ってるのに寝ぼけてるとか。。。。ほんと。。。怖い。。

第二の犠牲者=松平宏忠(徳川家康の父)
20歳の宏忠は眠っているところ、家臣の岩松八弥に脇差(小刀)で襲われた。この脇差がまたもや『村正』だったのだ。。。
八弥は、戦場で数々の首をあげた豪傑だった。なぜ襲ったのか不明であり、このころから『村正』の妖気をいぶかる声が一族に出てきたに違いない。

この八弥さん、一説には酒に酔っていたともあります。。。。酔ったごついおっさんに刺されるくらいなら痴情の縺れであの子に刺されたいですね。ほんとですね。


第三の犠牲者=信康(徳川家康の長男)

家康の正室、築山殿は今川義元の養女、その間に長男の信康をもうけていた。しかしながら、桶狭間の戦いで織田に今川が敗れてからは家康には疎まれており、それがわかっていた築山殿は武田勝頼の妻になり、息子の信康を武田側にたたせて、織田を倒そうと画策した。
その事が、信長にばれて、激怒。
怒った信長は家康に、妻と子の処罰を命じた。
信康には切腹を命じ、二俣城にて天片山城守道興に介錯を命じた。そのときに偶然使われた刀剣も『村正』だったのだ。。。。

酷い話です。まさに戦国、世はあはれ。。。でもすごいなこの女、敵の女になろうとはいい度胸してます。。。

他にも『村正』と徳川の因縁話は史実におおく記されている。
村正で家康が手を切って流血したとかしないとか。。。。

しかし、なぜ、徳川と村正なのか?

キレイにまとめるなら
『村正』は南北朝時代、南朝側につき、勤王の士のために刀剣を作っていたとされており、彼らがつくった刀剣が、天皇家を圧迫し、幕末には勤王志士に目の敵にされた徳川幕府を祟ったとしても不思議ではないのかもしれない。

もっとカッコイイ妖刀ないかな〜
次に期待! うんそうしよう!

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