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茨城連続身代わり殺人事件!まさかの夫が殺人犯?容疑者大西克己、逃亡のための身代わり殺人、犠牲者4名-アンビリバボーで放映をまとめてみた!当時の捜査時の写真付き〜

茨城連続身代わり殺人事件!まさかの夫が殺人犯?容疑者大西克己、逃亡のための身代わり殺人、犠牲者4名-アンビリバボーで放映をまとめてみた!当時の捜査時の写真付き〜

1958年7月、下関市で養父母を青酸カリで無理心中を装い毒殺した大西克己(当時30歳)が警察庁の総合特別手配により検挙された。
だがその時の大西の名前は「三浦」。戸籍を奪い、逃亡するためだけに大西は更に2人の男性を殺害していたいというのだ。。。しかもバラバラ殺人。。。

大西容疑者。。。サイコパスの臭いがします。ヒトはなぜ、ヒトをバラバラにするのでしょうか。。。

【茨城連続身代わり殺人事件!概要】

大西容疑者の最初の殺人『無理心中』事件:

1955年6月2日山口県下関市の市営住宅で、「何か異様な臭いがする」という通報が近所の住民から入りました、そして大西福松さん(60歳)方から、福松さんと妻クマさん(56歳)が死んでいるのが発見されたのだ。

「私は父母と相談した上で、親子3人で心中をいたしました。事情があるため私は1日遅れて後を追います。みんな元気で暮らしてください」
このような奇妙な遺書が室内に残されていたのだ。

検死の結果=2人の死因は青酸カリを飲んだことによる中毒死
遺書の言葉通りであれば息子も 自殺している可能性が高い・・・しかし
遺体の発見される前日、近隣住民が付近を歩く息子の姿を目撃していた。

しかも息子は当時の勤務先である酒の販売会社から、売上金130万円を盗み出していた。
その上8年前には窃盗容疑の前科ももっていた。つまり前科者だったのだ。。。
この2つの事実が捜査員に『盗んだ金で逃亡した』と結論づけさせるのは容易であった。

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湖畔で見つかったバラバラ死体

●人間の左右の指2本、鼻、陰茎1個が入ったオイル缶が発見される
結構。。。気持ち悪い。。。事件です。。。

●殺人事件として警察は捜査を開始します。殺人。。。だよね。。。

●翌日オイル缶のあった反対側の湖畔のヤブで仰向けの裸の他殺死体を更に発見。

●バラバラ部分=遺体の欠損部分が判明!

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◎死体様子:全身には硫酸がかけられ、顔面と指先が特に酷くやられていた。指紋は細い指紋で切り込まれていた。
◎遺留品:オイル缶及び30m離れた公衆便所内から発見された浪花屋旅館の染抜きの手拭のみ
◎司法解剖結果:年齢:25歳以上、35歳未満。死因:絞殺、死亡推定時刻は12日午後5時から午後9時ごろの間。

下記茨城水戸市 千波湖畔でバラバラ殺人がみつかった当時の新聞記事そのままの内容です!!

ヤブから絞殺死体発見。水戸のバラバラ事件(昭和33年)
サンケイ(今の産経新聞) 大阪版
昭和33年(1958年)1月15日 水曜日 14版 9面

ヤブから絞殺死体発見
水戸のバラバラ事件
【水戸】
既報= 13日午後3時半ごろ
水戸市 千波湖畔で
オイル罐に入った人間の鼻、右手、親指、下腹部の一部などが
発見されたバラバラ事件を捜査中の合同捜査本部では
14日午前9時半から
県警機動隊15名、水戸署員8名が
ボート4隻、鉄舟1隻を狩出して
湖上を捜索する一方
水戸署員 約30名が
同湖畔付近の山林の捜索を行ったところ
午後3時ごろ
オイル罐が到着した対岸の桜川岸の藪のなかから
右手、親指、鼻、下腹部の一部が切取られ
細ヒモで二巻された男の全裸の絞殺死体を発見
身元割出しに全力を挙げている。

猟奇的殺人事件です。
サイコパスな感じしてますね。

特別捜査本部は指紋再現を行い、ついに自動車窃盗で東京の上野署に検挙された前科をもつ
墨田区の日雇人夫・佐藤某(30歳)
を割り出したのだ!
すごいぞ!特別捜査本部!!
がんばれ!特別捜査本部!!

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佐藤さんの家族の証言詳細:
・1月9日正午ごろに佐藤さんは西田という30歳くらいの男と一緒に訪れたとの事。
・西田は「佐藤君にセールスマンをやってもらうから、移動証明・戸籍謄本が必要です」と書類を用意するように支持した。
・西田は翌日に再訪問し、書類を受け取ると、佐藤さんを連れて行った。

西田!?だれだそいつ。。。とにかくそいつが犯人だ!!特別捜査本部はそう推測したのだ

現場近くでみつかった遺留品の手拭の、『浅草の浪花屋旅館』にも調査をおこなった、
その結果。。。。。!
宿帳に佐藤さんの名前が!
更に岐阜県穂積町の西田保(30歳)という名前も発見!

人相なども一致した。
西田=佐藤さんを殺害した犯人!!
という答えにたどり着いたのだ!

そしてこの事件の解決の決めてとなったのは
総合特別手配

警視庁は初の試みを行う。チャレンジ精神旺盛です!!w
犯人の写真&犯行の概要を印刷した手配書をあらゆる掲示板に貼って捜索する『総合特別手配』を実行!
全国に殺人・強盗事件21件、計26人を総合特別手配を同年7月9日に開始したのだ!
というか最近は結構当たり前だけどね。。。w 良くみるよね。。。w

この特別手配。。。。大変残念な事に
大西克己の最初の事件。『下関市の養父母殺し』も手配にリストにはいっていたのだ。
ついてないです。。。大西。。。
しかしながら、悪い事してるので当たり前です。。。。

そして警察は
ある奇妙な事実をつきとめたのだ!!

大西と全く同じ指紋を持つ人物を発見したのだ!

彼は、最近になって前科がついたもので 罪名は『窃盗未遂』。
そのため、最近指紋が登録されていたのだ。

詳細は。。。下記参照してくださいな。。。!!

本籍は北海道函館市大縄町。
住居:東京都目黒区宮ヶ丘。
自動車運転手
名前:三浦某。
昭和7年(1932年)9月15日生まれ。
1957年12月月、警視庁東調布署にで検挙。

三浦!?

だれやねん。。。大西はどこいった。。。西田。。。佐藤はどうなったのだよ。。。

指紋が完全一致というのに、写真はまったくの別人!?!
調べてみると、三浦という男は実在しており、現住所で自動車運転手として妻(当時26歳)と暮らしているということだった。
それにしても。。。結婚してるのか。。。。!!?

大西=三浦という人物になりすまして逮捕をまぬがれている。
という一つの仮説がでてきたのだ。。。
結婚してる。。。。犯罪者という事実を妻は。。。知っているのだろうか。。?
すごく嫌な感じがしてきたぞ。。。。

内偵開始、近隣住民から大西の顔写真を確認、「間違いない」。

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勤務先社長から確認『間違いない、大西だ』。職安を通じて雇い入れ、真面目に働いたいたと証言を得た。

このことから『大西が三浦という人物を殺害していたこと』が推定できる。。
じゃなかったら本物の三浦どうなってるの!!?て事です。。。
しかし、三浦の遺体が見つからない限り、断定は不可能だ。。。それがこの世の中のつらいところ。
死体がないと事件にならないのです。。。

警察庁は全国の警察から家出人票と身元不明死体票を集め、三浦の死体を探し始める!

岡山県倉敷署が扱った焼死体があやしい!?
この焼死体は、1956年2月8日に発見された。三浦さんの行方がわからなくなって5日目にあたるのだ。
三浦さんの兄が、『焼け残りのオーバー』を弟のものと証言してくれた事で、
この死体が三浦さんだと断定できた。

つまりこの殺しが、大西の第二の殺人だったんですね。。。

もう逃げられないと覚悟し、大西が下関署で養父母殺しを認め自供を開始。。。。
三浦さんとはは別の男性1人も殺害していたことが発覚した。
そうです、例のバラバラ殺人の被害者佐藤さんだったのです。。。
つまり、バラバラ殺人は第三の殺人だったワケです。。

逃げるために身代わりを殺し続けた大西容疑者は噓を噓で塗り固め、
他人の人生を盗んで生きた、まさに身代わりでなりたっていた人生だったのだ。。。

これが事件を捜査から捉えた、解決までの流れです。。。
では大西視点で事件のあらすじをみていきましょう。

大西の真実

大西は山口県下関市に生まれ、大西家の養子となった。実は養母クマの私生児で、親子関係は複雑だった。
血のつながらない家族の生活、酒乱の父、DBの父のせいで性格が歪んだと考えてもいいだろう。。。
高等小学校卒業後は自動車運転手をしながら生活していたが、このころから軽い犯罪を犯しながら刑務所を転々としていた。
ある女性との出会いがきっかけで、生まれ変わったように真面目に働くようになる。 1953年に前科を隠してその女性と結婚
それは、冷たい家庭環境で育った大西が、それは他人に抱く初めての愛の感情。。。だったのだ。
大西の供述によると、妻の妊娠以来、養母さえも急に冷たくあたるようになり、別れる事を強要しはじめた、
妻に隠している前科の事を話すと脅してきた。
大西は妻がいじめられないよう、養父母にいつも酒を買ったりご機嫌とりを行っていたが。。 。 虐げられて来た思いが限界に達する。
会社の金を使い込んでいたこともあり『養父母殺し』を決意したとの事だ。
1955年6月1日、この時、大西の妻は出産のために国立病院に入院中だった。
折り合いの悪い養父母の福松さん、クマさんに酒や料理をふるまい、記念撮影までしてから、酔いつぶれた2人に青酸カリ入りジュースを飲ませて殺害。会社の金130万円を持って行方を眩ませた。犯罪者となった以上、これ以外の選択肢は大西にはなかったのだ。
この後、別府にて「藤田」という偽名をつかい、マーケットに食料品店を出すため間借りをおこなった。お店の売り上げは良好!
しかしある日小さな事でもめ事になり、殴り合いの喧嘩に発展。警察に素性がバレる事を恐れて、東京へ逃亡したのだ。
指名手配されたことに気づいた大西、
彼のなかで『別人にならなくてはいけない』という思いが強まる。
戸籍を売ってくれる人を探しはじめたのだ。
そんなときに「4万円なら売る」と三浦が現れたのだ。
大西は三浦さんを2月3日に連れ出した。
「自分のために無縁仏になるのか」と思を哀れに思い、女を抱かせた。
伊東→大津→岡山県倉敷市に向かった。ガソリンスタンドでガソリンを買い、その夜に山中で胃薬と騙して青酸カリを飲ませ殺害。
身元の確認ができないように遺体を焼いた

ここから大西の『三浦という名』の第二の人生がはじまったのだ。
数日後、
台東区南稲荷町の紙器工場で働きはじめて、ある女性と知り合った。
この女性の援助で自動車の運転免許を取得
その年の7月には目黒区のアパートを借り
(三浦氏の)籍を北海道から移して、結婚。子供を出産。
克己は酔っ払って他人の家への不法侵入で逮捕。東調布署で写真や指紋を取られてしまった、身元がばれるのは時間の問題だ、大西は新たな身代わりを見つける必要を感じた。1957年の暮れ、気が緩んだために犯してしまった出来事だった。
「ハハ、シス」
1958年1月、大西はニセ電報を打った。新たな人生を得るための期間を得るための口実をつくったのだ。
妻の兄と上司から合計7万円を借りる事に成功し、三浦の実家のある北海道に向かったふりをし、浅草へ向かった。
そして都合良く、年恰好の似た佐藤を見つける事ができたのだ。
佐藤と1万5千円で移動証明の売買契約を結んだ。その夜、浪花屋旅館に一泊、佐藤が「水戸へ行きたい」というので、水戸に一緒に行きそこで殺害。ナイフで左親指、鼻、下腹部を切り取って痴情の犯行に見せかけて硫酸をかけて死体を遺棄した。
佐藤には前科があったために、指紋が復元されてすぐに、登録されていた指紋が見つかった。 それゆえ、身元が判明したのである。この時代はまずしく、前科をもっている人たちが結構多かったのだ。
大西は「これでは人生やりなおせない、どうにかしなくては。」と思った。
しかしながら、このまま逃亡できないワケもあったのだ。 妻が大西の事を心配して三浦の実家に直接連絡したり、捜索願を提出する可能性が濃厚だからだ。
そうなれば今の人生も終わってしまう。 大西ははこれまでの生活を仕方なく続ける以外の選択肢を失ったのだ。
そうして運命の1958年7月彼は突然妻の目の前で逮捕されたのだった。近所の人からも愛妻家として評判だった。 社交的で明るく、勤務態度も真面目で優秀だった。妻は夫が殺人鬼なんて少しも気づいていなかった。。。のだ。

妻はどんな気持ちだったのだろうか。子供達はいったいどんな気持ちだったのだろうか。
逃げるために、他の人間の人生を盗みとった罪は大きい。

・1959年12月23日、水戸地裁で死刑判決。
二審担当の弁護人は一度も面会に来なかった。控訴趣意書の書き方を教えてもらおうとしても、「その必要はない」と拒否し、「被告の行為は死刑を已むを得ない。控訴する理由は何もない」という趣意書を裁判所に提出した。
・1960年6月13日、東京高裁、控訴棄却。
・1961年3月30日に死刑が確定した。
・1965年、死刑執行。

東京拘置所時代:被害者の冥福を祈る歌をよくつくり、下関と東京にそれぞれ残してきた子どもを偲ぶ歌も多く詠んだが、母親の歌だけはなかったという。

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