人命を脅かす発明
公開処刑で使われた殺人装置
パリの中心地にあるコンコルド広場は、大勢の罪人の血を吸っていると言われている。。。。
なぜかって言うとね。
フランス革命時に、1000人以上に及ぶ血なまぐさい公開処刑が行われたからDEATH。。
国王ルイ16世
マリー・アントワネット
等。。。。多くの民衆の敵とされた人々を処刑した。
その処刑道具こそがギロチンなのだ!!
日本の柱にの上に取り付けられた、重量のある刃が落ちてきて、斬首台の上にうつ伏せになっている罪人の
胴と首を一瞬で切断する。
設計者はフランスの外科医アントワーヌ・ルイ
ジョセフ=イニャス・ギヨタンの死刑制度を人道的なものにするために、
“より切れ味のよい斬首台”の導入を提案した。
それがギロチンだ!
革命前のフランスは一部の貴族や聖職者が特権を握っており、平民は貧しく、自由のない暮らしを強いられていた。
なんと
死刑制度にも階級があったのだ。。。
処刑=娯楽の文化。な時代、
白昼堂々と公開処刑が行われる。
❶貴族階級→斬首刑
苦痛が一番少ないから、またお金次第では、一瞬で息の根をとめてくれる腕のいい死刑執行人を雇う事ができたらしい。。。
嫌なお金の使い道ですね。。貴族の処刑は一般庶民にとっては最高の見せ物だったのでしょう。。。。
❷平民【普通の罪】→絞首刑
❸平民【重い罪】→八つ裂きの刑・車輪刑等
苦しくて、残酷、拷問的な刑。手足を別々の馬に引っ張らせたり、手足をつぶして、車輪に括り付けて見せ物にしたり、庶民に対してはやりたい放題です。
この階級差別的な死刑制度に異論を唱えたのが
博愛主義者ギヨタン
『すべての死刑囚に苦しみの無い死を。。。。』とすべて斬首刑に統一する事を議会に提出。
人道的なサクッと処刑できる装置の開発がはじまる。
ちなみに、国王ルイ16世の一度で首を落とせるアイデア
“刃の角度は45度で!”
も採用され、ついにギロチンが完成したのだ!
そんな中、フランス革命が終わり、
ルイ16世は国王裁判にかけられ死刑を宣告されます。。。。
まさかのこのヒト
です!!
そうなんです。。。
最初の犠牲者はルイ16世だったのです。
角度45度の切れ味をまさか自分で体感するとは思っていなかったでしょう。。。。
なんて間抜けで、かわいそうな王様。。。
2万人があつまるコンコルド広場で開発したばかりのギロチン台の露と消えました。。。
ちなみに“ギロチン”という名前は、博愛主義者のギヨタンからつけられたのですが。。。。
そんな事、まったく望んでいないギヨタンさんは家族もろとも、姓を変えたとの事でした。。。
さよならギヨタンです。。。。
第二次世界大戦直前の1939年まで、フランスでもギロチンによる公開処刑が行なわれていた。
1939年6月17日にジュール=アンリ・デフルノーによってパーセイルズで行われたドイツ出身の殺人犯オイゲン・ヴァイトマンの死刑執行が最後の公開処刑となった。この処刑は盗撮され、映画館で公開された。これに問題を感じた法務省は、以降の死刑執行を非公開に切り替える事になる。
その後、1981年に死刑制度が廃止される前までフランスではギロチンで死刑が執行されていました。
1981年。。。。結構最近じゃない。。。。あのグロテスクな処刑台がそんな最近まで使われていたなんて。。。驚愕です。。。
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おまけ:
死刑囚の首をギロチンで切り落とした後、生首の反応を調べる事で、首を切り落とした後どのくらいの時間意識があるかを調べた事例を紹介しよう!
結果はどうだったんだろうね。。。。?
ドイツの「ヴェント医師」が、トレールという死刑囚で行った実験。 「私が急に指を目の前に突き出すと、トレールは瞼を閉じて身を守ろうとした。 また、太陽に向けると、まぶしそうに目を閉じた。 耳元で大声で名前を呼ぶと、閉じかけた目が開き、声のする方へ視線を投げかけ、口も何度か動いた。」
この実験は1分半にわたって行われた
「ボーリュー」医師と、「ランギル」死刑囚との間である合意が交わされていた。 名前を呼ばれたら、切断された頭で瞼を上下させながら返事をする、という約束だった。
ボーリュー医師の著書より抜粋。
「私は大声で「ランギル!」と呼んだ。すると、生きている人間が見せるような安定した、明快な、正常な動きで瞼がゆっくりとあがった。 数秒後、瞼はゆっくりと閉じたが、私がもう一度名前を呼ぶと、再び瞼がゆっくりと、痙攣もせずに開いた。 そして再び閉じ、私の3回目の声には反応しなかった。すべては、25秒から30秒の出来事だった。」
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